2014年10月13日

この対策中に私は自分の言葉遣いの悪い点を保護者の方に指摘された。常に子供の心を傷つけないように気を付けているつもりであるが、余りにも自覚のない取り組みをした時や、発言がひどい時には声を荒立ててしまうこともある。弱いくせに怒ると我を忘れてしまう点は、私が前々から克服しなければならない点である。注意を怠った自分をただただ反省するばかりである。

台風の近付く昨夜、田舎のおふくろ様から、私と同級だったH君がこの夏ひっそりと自分で命のピリオドをつけたことを聞かされた。
H君と私はその地区では同学年で、私と彼しか同学年はいなかった。運動音痴の私は、足の速かったH君にたびたび、運動会などの地区対抗リレーで助けていただいた。地区対抗の競争事はすべて彼のおかげで、私の地区はもっていた。
地区での行事には必ず彼がいた。高校進学でなかなか会うことはなくなったが、私が関西に来てから大工になったと聞き、私の実家の倉庫も彼が作ったものであることを後に聞いた。
彼は仕事での悩みを抱えたまま、去っていってしまった。私の中学の少ない同胞のなかですでに3人を見送ることになった。
こんな日本は果たして豊かな国なのか・・・
弱者になれば、這い上がることができない国なのか、想いは続く・・・

私は私のささやかな力であるが、せめて通っている子供たちにこの荒れ狂う世に、生き残る手段を残したい。
私は、中学生しか教えられないが、それでも数十年必死にやってきた自負はある。
だからこそ、何か一つ、知識以外の生き方を彼らの心に残せたら私の命も消える去ることはないと想っている。
勉強の結果が受験であり、それで私は飯を食べさせてもらっている。
その現実から逃げるつもりはないが、ほんのわずかでいい・・・それだけではない!と叫び続けている。

勉強の目的がわからない子には修行と答えている。いろんな知識は経験を支える。経験は新たな探究心を生み、希望を育てる。
命の息吹は有限であるが、その探究心は次の世代に受け継がれていく。その時、命は無限になる。

去った彼の命に深い悲しみを抱くとともに、その重みを解っていながら、心ない言葉を使った自分がなさけなく想う嵐の夜です。<(_ _)>、